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N O P D A Y S
2003年3月15日(土) くもり

 朝から車を車検や点検に出してるディーラーに持って行きました。
 修理担当のAさんが、チェックしてくれました。
 「バンパーの所はネジが完全に切れてますね。」
 「これは何でしょう?」と右後ろのライトを指差されました。
 私「1年前に自分で柱にぶつけたんで、それだと思います」
 がしかし、傷1コだけやった気がするし、よく見ないと解らない傷やったはず。その傷の横というか上に、今現在できてる2箇所ある傷の上に沿うように、白と黒の何か塗料みたいなものがついてました。
 「何でしょね?」と言いながら、「僕たちは判断できないのですが、保険会社を通すなら鑑定人に判断してもらえます。」

 見積もりを立てて貰ったら約11万円だった。
 Aさんは「加害者は逃げたりとか無いですよね?」と言った。
 私「多分大丈夫ですよ。」

 家に戻って、くるまはかせの教えに従い、被害者としての誠意を見せ、見積もりの事を知らせようと、加害者に電話した。
 老婆が出て「はぁ?何の御用ですか?」と普通に失礼な態度。かくかくしかじかと説明して「見積書をFAXか何かでお送りしたいと思ってるんです」というと老婆「それで終わりですか?」なんだその対応は!と思ったが「いえご主人様とお話したいと思ってます」と告げると、近くの目医者に行ってるので後15分位で帰りますから。と言われ、老婆は私の電話番号を聞いてきた。そして震えた声で、事故は大丈夫なのですか?というので、「そんな大袈裟なものではありませんよ」というと、震えた声のままで「すみませんでしたね」と言われ電話を切った。
 
 私の番号を聞いたんだから、電話してくるかと思ったが、待てど暮らせど電話は来ない。こちらから又電話すると、加害者のおじいさんが出た。
 「あー家内から聞きました。それで幾ら?」これが第一声。
 「え?そんなするの?高いなぁ。さっき保険屋に電話して相談したんだけど、5万円以上なら保険屋に頼もうと思ってね。そうします。」と言われた。
 保険屋に電話する前に私に電話しろよと思ったが、まぁ見過ごした。
 くるまはかせに教えて貰った通り、出した車屋さんの名前も言って了承を得ようとした。正規ディーラーだから、ちょっと高くついて嫌がるかなぁ?と思ったけど、逆でそれが安心した様子だった。そして見積もり書のFAXも要らないと言われた。それもこれもおじいさんもそこの店で車を買ったという話だった。
 そしてその見積もりの中にはライトも入ってるけどこれは不明ですという説明を正直にした。でもライトの修理は1万円ちょっと。どっちにしても10万円かかる。
 これから保険屋の浅草センターに査定の電話するという。ここはやってるけど、担当者が土日は居ないから、とやたら詳しい。
 
 夜、加害者から電話があった。(後にも先にもこれ1回だけだ)
 やっぱり月曜になるという。その浅草センターの電話を告げられた。何かあったらここに電話してくれと。
 「浅草なもんだから、五日市街道なんて言っても、解って貰えなくてね。ハハハハ」余裕綽々。  そしてその保険屋が私と同じだったので、「私もです」というと、
 「あぁ、そう。僕ね20年前にも事故したんだけど、その時も同じ保険会社だったんだけど、うまくやってくれたよそうですかと言うと
 「すみませんでしたな」ととりあえず謝っとけ的に言われた。(これ一度きり)
 おだやかに電話を切った。
 相手は老人だし、事故して加害者という立場だし、それなりに動揺しているだろう。と思ったから。私なりの配慮だった。

 電話を切った後、「うまくやってくれた」って?疑問が残った。それって・・・・・・。

 まだこの地点で相手は私の信子という名前も知らない。

 くるまはかせがおかまを掘った時、物凄く謝って、菓子折りを持って行って、云々と言う大人の対応の話を聞いていただけに、「事故の大小はあるにせよ。何か違う違いすぎる。菓子折りは無くても、フルネームと住所位は聞いて詫び状のひとつでも送ってきてくれてもエエんちゃうかな?百歩譲ってそれは無くても“悪かった”という気持ちさえ感じ取れないのは何故?」と疑問に思った。
  
 確定申告の作業。





2003年3月14日(金) 晴れ
くまざさ号☆事故

 愛車のくまざさ号に乗り、吉祥寺の銀行に行く最中、五日市街道(片道1車線)を走っていて、成蹊学園前で乗降中のバスの後ろに停車していました。
 私とバスの2台を真後ろの車が追い抜いていきました。又その後ろに居た車が、また追い抜こうとしました。その時に対向車がやってきて、失敗し、すごすごと下がり又出ようとした時に私にぶつかりました。
 事故自体は大した事は無く、衝撃も少なかったのです。
 車を降り、相手は老人が第一声、
 「警察に言うと長引くから談合にしよう」
 私はここで返事をしていいのか考えて居ました。すると、馬鹿にした口調で、
「話し合いね」と老人は言いました。
 私「どうしたらいいんですかねぇ」事故は初めてでどうしていいか全く検討がつきませんでした。
 老人「そんな事私に言われても」
 傷を確認しあいました。老人のシルバーの車にはくまざさ号の緑色の塗料がはっきりついてました。そして、くまざさ号は傷と共に右後ろのバンパーの下とタイヤの上の所がずれていました。
 老人「修理代を支払いますから」
 そっか、修理代を払ってくれるならそれでいいや。と思いました。
 老人「あなた今から予定は?」
 私「吉祥寺へ銀行に行く予定です」
 老人「そっかそれならダメだね」
 老人にここだと邪魔だからと言われるままに、車を移動し、また話をしました。
 老人「今から二人で修理工場に行きましょうか?」「僕この辺知らないから修理工場って言っても、 わかんないなぁ。僕とあなたの家も遠いから、あなたの近所に修理に出してそれで請求書をまわしてくれ」と言われ、名刺を貰いました。「あんた書くもの持ってるか?」「持ってません」「あ、車の中にあるかもしれない」と言い、鉛筆でその名刺の裏に自宅の住所と名前を書いてくれました。名刺には株式会社美○広告社取締役社長と書かれていました。そして私も名刺を出そうとすると、「いい」と断られました。

 この地点で老人は私の大まかな住所と苗字しか知りません。

 そして銀行に行き用事をすませ、市役所にも行きました。

 家に戻り、サミーに報告し、これで本当に良かったのか、くるまはかせのK・S氏に電話しました。
 「それでも警察に行って欲しかった」そっかそうなのか。大反省。
 これからどうしたらいいのか相談にのってもらって、車屋さんに電話したが、この時は大した事は無い事だと思ってたんです。頭の中は事故より確定申告でした。





2003年3月13日(木) 晴れ

 確定申告と思いつづけて、やろうとする気配が無い。とほほ。

 夕方、新宿へ。
 K・Kさんに熊の曲などお渡ししに。
 
 何だか一人で新宿歩くって新鮮。

 夜、やっと確定申告スタート。





2003年3月12日(水) 晴れ

 プリンターの調子が悪くなって早1年位たつのですが、今日久しぶりに使おうとしたら、やっぱり使えない。あぁあ。寿命が短かったな。3年位かな。まだまだ使えそうなんだけど。どうしてもダメだ。

 次イイヤツ買えるからいいことにしよう。

 食器も欠けたり割れたりすると、嬉しいと思ってしまう。新しい物買えるんだもん。
 そう何をかくそう私は物が捨てられないケチケチ奥様なのであった。





2003年3月11日(火) 晴れ

 先週の入魂作業が終わり、何だか気が抜けてしぼんでた。

 サミーが帰るコールで察知した。
 帰宅して心配気な顔で「どうしたん?鬱病か?」と真剣顔。(前科あり)

 それだけでしぼんでた心がプ~って膨らんでいった。

 夫婦らしくなってきたかな。





2003年3月10日(月) 晴れ

 今日はぼんやり過ごした。





2003年3月9日(日) 晴れ
サム帰国

 わーいわーい。今日はサミーがフィリピンから帰ってくる日じゃ。
 
 あと1曲唄入れと3曲TD。
 ちょうどサミーが帰ってくる23時頃に終了。がしかし、奴は現れぬ。

 やっと24時ごろ帰ってきた。
 腹が減ってるらしく、好物のお茶漬を食べた。そしてすぐお土産を出し、嬉しそうにしていた。インドの時はお土産は次の日だったのに。なんでかな?
 そうそう、お土産の中に、フィリピンの空港で買ったという、オーストラリア産のマカデミアンナッツがあった。パッケージは今のコアラの親子だった。ハワイのとは味がちと違うかった。チョイスがおかしいね。





2003年3月8日(土) 晴れ

 歌入れ2曲。
 久々にボイトレした。長い間ほおっておいた喉は固い。

 夜、サミーからやっとメールが到着。









2003年3月7日(金)

 サミーの居ない間のヒミッツコムのサポートなどしながら、悠悠自適な一人暮らし。うふうふうふ。

 アレンジ。









2003年3月6日(木)

 そしてすっかり朝方の生活に変わった。いい感じ~。

 アレンジ。









2003年3月5日(水) 晴れ

 すっかり慣れて一人暮らしを満喫!いえ~い。ららら~♪
 と呑気にしてたら、フィリピンでテロがあったという、顔面蒼白。よく調べたら、滞在地と遠かったので少し安心したが、な~むぅ。
 くまざさ号出動。
 T・Yさんとロイホでランチ→夕方まで・・・・・・・。









2003年3月4日(火) 晴れ

 ひとりごとが多い。

 熊の曲などアレンジ。









2003年3月3日(月)

 始発に乗って、サミーは出かけた。地元の駅までお見送り。
 たった1週間だが、ひとりぼっちだ。

 自宅で成田空港のサイトで発着便のチェックをしていたら、サミーの乗る便が大幅に遅れている。やきもき。なんぞあったのかと思いながら10分に1度の更新を何度もリロード・・・。

 淋しいぃぃぃぃぃ。









2003年3月2日(日) 晴れ

 東京に来てもう10年たつ。
 今月中ごろにやってくる結婚記念日は、電気器具婚式らしい。なんじゃそりゃ。

 明日から、サミー渡比。









2003年3月1日(土) 晴れ

 やっと解放。





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