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N O P D A Y S
2003年3月31日(月) 晴れ

 せっかく作った焼プリン・・・諦めきれず、蒸し器で蒸してみたら、固まった。
 なーんだ、オーブンの時間が足りなかっただけかい。
 よくみやなあきまへんな。
 それにしても、私のオーブン20年前からあるぞ。そろそろか。いや、まだがんばれ!





2003年3月30日(日) 晴れ

 焼プリンを作った。

 午後、それはヒミッツの皆さんが我家に集まりミーティング。部屋を覗くとサミーの説明を真剣に耳は聞き、手はメモなど取ってるのに、口はギャグを言う。この人たちはおもろいなあ。足はどないしてたんかな。

 夕方、N・M女史が来訪。仕事の相談に載って頂いた。

 夜、皆で夕食。N・M料理長とんしゃぶ。

 デザートに焼きプリンと思ってたが、大失敗。かかかかたまっとらんやないかい!そもそも配分を間違えたらしい。何たる事や!あーショック。

 楽しい1日。





2003年3月29日(土) 晴れ
おかえりくまざさ号

 朝、庭の熊笹を見に行ったら、新芽が育ってた。ホ。よかった。

 午後一でケーキ作り。(バナナとくるみのシフォンケーキ)

 本日来訪予定のN・M女史、明日に延期とあいなった。ちょうどサミーが起きてきたので、二人で即ケーキ食う。いやしすぎる。明日に置いておこうとは思わんのかい。

 ここんとこほんの少し風邪っぽいので、ダラダラと過ごした。

 夕方、くまざさ号が予定より早く修理から帰ってきた。後ろ姿がきれいになってた。なんて愛らしいのだろうと思ったぞ。大事にするよ。すまんかった。許しておくれ。
 保険屋の示談書という書類に署名捺印。加害者欄には経営する会社で記載されていた。おっさんどこまでもやな。あっぱれ!

 夜、お菓子のどか喰いがしたくなり、一人で決行。がしかし、出かけてたサミーの帰宅後もしっかり晩飯食うたぞ。恐ろしきや胃袋。ストレスだ。





2003年3月28日(金) 晴れ

 加害者の保険屋から電話で査定の決定金額を知らせてきた。

 今日は強風で、洗濯もんが飛ばされないか冷や冷やして出かけた。

 吉祥寺で、T・Yさんと待ち合わせ。
 待ちに待ったケーキバイキング。がしかし、改装中にて、本日休止だと。えー!ふざけるな!
 うなだれながら、シェ―キーズに吸い込まれて行った。ヤングやん。・・・。
 井の頭公園で腹ごなしした後、ケーキ&茶。

 帰宅して洗濯もんを見たら、ひえ~。竿が片方1階の屋根にひっかかって落ちているでは無いか!おおお重い~。
 まさか竿ごと飛んでいたとは。

 ケーキバイキングに行きたいぃぃぃぃぃ。

 約束通り、加害者に電話した。本人が出た。ハイとしか言わない。
 「今回の一件で私は無理に自分の金銭を自己負担し、大変な迷惑をこうむりました。あなたは初めに全額負担すると言ったのに、それを破った。
私は一生この心の傷を背負って生きてゆきます。
人のことをもう少し思いやることを今後しないと、あなたのお仕事もうまくいかなくなりますよ。よくこの言葉を覚えておいて下さい。」 と伝えた。声が途中少し震えてしまった。以上ですと言って電話を切った。少しの間、脱力した。これで本当にTheEndじゃ。

 泣いてるだけ時間の無駄だと思い、ちょっと前に留守電にあったK・Kさんへ折り返し電話。いい話だった。
 これからのこともっと考えなきゃだな。

 サミーの作った今度の黒テントの公演で使う皆で演奏する曲を聞かせて貰った。面白い!羨ましいと何度言ったことか。私も佐藤信さんと仕事したいぃぃぃぃ。

 夜中からサミーの別の仕事ちょこっとお手伝い。





2003年3月27日(木) 晴れ

 昼間、表参道でK・Kさんと待ち合わせ。
 資料をお渡しして、デンして、原宿に戻りがてら、ラフォーレのスイマーでも寄ってこうと思ったら、子供ばっかりで、ひえ~となったが、負けじと物色。20歳は違うと思われる。がーん。

 家に戻って、昼寝・読書。





2003年3月25日(火)

 午後、広尾のY・Gさんの所に仕事の相談に乗って貰いにでかけた。
 う・・・大遅刻・・・すんません。

 広尾から恵比寿まで歩いて買い物。女子の気持ちを思い出す。
 
 地元でも買い物。
 成田空港でも活躍した魚屋さんの1年間有効の割引券、今年は貰えなくて諦めていたのに、今日貰う事が出来た!すぐおばはんに舞い戻った。

 夜、寝る時間になって、カラオケのデータ修正。朝まで。 





2003年3月24日(月) 晴れ

 母と電話。

 保険屋に自己負担する旨を伝えた。

 保険屋の査定人って、夜うなされたりしてそう。そう考えると大変だな。でも、謝罪の演技はもう少し心の底から言えるようにした方がいいと思うぞ。逆撫でするだけだからな。

 日記を更新していて、思い出すと鬱になりかけた。サミーの帰るコールで又察知されてしまった。
 帰宅後、「何かありましたか?」と何度も。優しいね。サミーと居るだけで元気になるんだよね。不思議。

 芯の所、なかなか気持ちも頭も整理できないけど、ま、ジョジョにね。





2003年3月23日(日) 晴れ

 カラオケのデータ直し。





2003年3月22日(土) くもり

 今日はN・Mさんがお泊りに来るので、朝から大掃除。
 がしかし、物凄い声で電話があった。怪獣が火を吹いてるみたいな声。という訳で来週に持ち越し。お大事に。
 その途端掃除を止めてしまった。やはり私は悪妻だ。がお~。

 今回の事故で、落ち込みきってる私に、同化して怒ってくれるという事が、胸にじーんときた。
 本当に大変だったけど、そういうあったかいモノ貰えて、よかった。
 
 加害者に対しては大方すっきりしたけど、保険屋の口の聞き方には、いまだ頭にくる。まだひっかかってる。何か言ってやりたい。
 けど、それも私の持って行き場の無い気持ちの八つ当たりでしか無いんだろうなとは思う。
 大人になりたいね。





2003年3月21日(金) 晴れ
我家に熊笹の苗がやってきた

 朝、富士竹類植物園からとっても可愛い熊笹の苗が届いた。サミーとパンダのBun太郎さんと一緒に庭に植えた。

 西荻の駅でS・Kさんと待ち合わせ。喫茶店で相談に乗ってもらった。

 加害者に完全に非ががあって私には完全に非がないので私が支払うことはないこと。
 だけど加害者はこちらが正当な方法をとったとしても自分に利益の無いことにはびた一文出すことはないということ。
 もう戦うことを辞めて自己負担すること。
 そしてくまざさ号に乗ること。
 社会的に制裁を加えなくともおてんとさまは見てる。
 だから諦める。
 悔しいけど諦める。
 もう次に行く。

 いいことがある前にはこういう事があるものらしい。
 大きな事故でも無かったし怪我も無かったし。よしとする。
 話ししてる内に、怒りと共に、何日も紅かった目は、白くおさまっていった。
 明るい未来に向って、頑張ろうと思った。

 ただ、加害者のおっさんみたいな非情な部分が自分にもあると思う。
 自分もそこを膨らまして行ってしまえば、他の人間がどれだけ傷つくかということを身を持って見せてもらったんだと思う。
 だから気をつけよう。
 車屋も保険屋も同じで車も父と同じだったというのは偶然じゃない。
 
 謙虚に受け止めようぜ。
 さぁ春だ春だ!

 くまざさ号の横に熊笹が増え育ちますように。





2003年3月20日(木) 晴れ

 朝またメヤニが大量にでて瞼がひっついていた。
 目が覚めても昨日の気持ちと変わらない。

 車屋さんのAさんの朝一の電話から何度もやりとりをした。
 そして、交渉してくれたが、やはり平行線だったらしい。
 ただ査定人の言い分が一転二転してきている。向こうに非がないようにしているように感じた。
 Aさんに修理のことを確認してみた。やはり保険会社が言い張る傷の3点だけ修理するには、バンパーもかえないといけなくなる可能性があるそうで、その上、以前ぶつけたカローラ2と文字の入ったローバックパネルまで取り替えないといけなくなるという。

 保険会社の私の担当者なら力になってくれるかもと思い、調べて電話した。本部っぽい所にかけた。全部説明した後で、契約番号を聞かれ、ここにかけてくれと違う電話番号を言われた。
 そこに又かけた。「私の担当者の人に繋いで下さい」と言ったら。「どうされましたか?」と聞かれ、大方説明した。そしたら、また違う所につなぐと言われた。で、やっと私の担当者という人に繋がったと思って全部話しをした。(この査定人もきつい口調だった。査定人ってそうなの?)
 そして、どうやら、100/0の場合は、担当者は介入できないと法律で決まっていると教えて貰った。つまり私の代理人になって貰えるのは、弁護士だけだということだ。
 保険という制度は、被害者側に少しでも過失があった場合、損害保険を支払うことになるから、査定人が交渉する事になるらしい。やはり弁護士さんに頼まない限りは、私が直接やるしかないとの事だった。
 その後、その人も担当者じゃないと告げられた。電話中だったらしい。もう何度も話したくない。何の屁のツッパリにもならないのに保険会社よ!いちいち一部始終聞くなよ。消耗さす作戦だろう?と思ってしまう。

 加害者の査定人からうちに電話があった。今日は冷静にいこうと思いながら声は震えてくる。
 「チェックしてないと言ったライトの件は?」と聞くと、「機械だから、当たる位置を想定できますから、ライトに当たるといことは有り得ません」の一点張り。
 私「物理的にそうだということは解りましたが、あの塗装のようなものはなんなんでしょうか?」
 査「アジャスターに聞くと、確かに塗装はついてたそうですが、今回の事故ではありえないんです。だから今回よりも以前につけたものだと思われます」
 私「以前事故したのは1年前だし、最近塗装がつくような事故した身に覚えはありません」
 査「そのお気持ちはよ~く解りますが、今回の事故ではないということです」
 私「調べて欲しいと言ったのに何故調べないんですか?納得がいきません」
 査「位置がそもそも合わないということなので、こちらにそれを調べるというその義務はありません」
 延々続きそうないきおい。私に又スイッチが入った。怒鳴るというより、泣きだ。
 私「私の身にもなってください。」というと即、
 査「そのまま言葉をかえします。こちらの身にもなってください。磯田さんは、今回の事件では無い、ローバックパネルの分まで修理代をよこせと言ってるんですよ」
 そうはっきり言われた。呆れた。そして、加害者の車の写真を撮る手配を至急したらしい。何で今なのさ。
 査「修理するしないに関わらず、3万5千円は支払います」
 挙句の果てには、
 査「論点をまとめて、今晩ご主人様とよく話し合ってどうなさるかお返事ください」

 私は被害者だったよね。まるで加害者扱いだ。
 よこせとは何事だ。

 事故さえなければ、修理に出すことはなかった。保険屋のいう事故の部分だけ修理できるならそれでもよかった。自分の記憶さえも曖昧に変化していく。
 
 保険屋の言ってることが正しく聞こえてもくる。

 どこまでが1年前柱にぶつけたものなのだろう。

 精魂つきはてた。


 夕方から西麻布に向かい、Y・M氏&S・I氏に仕事の相談に乗って貰いにでかけた。 
 左眼どうしたの?と聞かれた。あ、まだ紅かったんだ。
 事故のこと忘れられた。よかった。

 Mちゃんから励ましの電話を貰った。
 「はせちゃんは悪くないよ。悪かったとしたら、おっさんを信じたことだよ」涙が出そうになった。

 六本木の駅に向う途中、巨人軍の清原選手が私の目の前を横切った。
 おとといTVのインタビューで挫折の話をしていたのを見た所だったから驚いた。私も清原みたいに克服したい。そう願った。

 新宿によって、気分転換に買い物して帰った。

 それでも考える事は事故のこと。

 町行く人が、皆敵に見えてくる。

 腑に落ちないまま、自己負担するなんて嫌だ。でも修理しないでじいさんのケチついたまま走るのも嫌だ。
 もう運転するのも恐い。 
 車を処分してしまおうか・・・。
 このまま戦う気力も無い。どこまでやったことなのかもう全くわからくなっていた。
 何もかも嫌。また死にたくなってきた。
 病院に行こうか。

 大事なくまざさ号なのに。





2003年3月19日(水) 晴れ
NOPマン大危機★

 加害者の保険屋の担当者から査定の結果の電話があった。

 査定担当者「結論から言うと、今回の事故は3点傷つけたのみです。なので3万円の支払いになります。が、車屋さんは、3点修理するだけでは無理で、パンパーごとの修理になるそうですから、その分の7万円は磯田さんで負担してしてください」
 私「え?じゃぁライトについてた車の塗装のようなものは何だったんですか?」
 査「だから今回の事故は3点だけです」何度も繰り返す。その後話がやっと通じたが、
 査「ライトはアジャスター(事故鑑定人)の報告書にはチェックされていません。今ここにデジカメ画像がありますが、そんな塗装は見えません。穴があいてるように見えるだけです」
 私「それでは納得いかないので、ちゃんと調べてください」
 査「では、磯田さんの方で、車屋さんに修理方法の確認をとって支払い方法などどうするか、そしてその際、ライトの事も聞いてください」
なんじゃそりゃ?と思ったが、食い下がり、ライトの件は調べるように再度念を押し、納得してない旨を伝えた。「1月に1年点検したばっかりだし、バンパーだってあんなになってたら私も気が付きます」と言うと、「そんなの1年点検なんて内部を見るだけだし関係ないですよ」先日と打って変わって、査定人は物凄く偉そうなキャラに変身していた。

 私が納得いったとしても、傷だけは直せないとは何事だ。

 そしてくるまはかせに報告。

 そして、車屋さんに電話した。私の担当者は昨日から休みだという。営業の担当者も不在だった。何で車屋さんが休みなのに、査定の連絡は今日なんだろう?と思った。だまされてる?私?
 電話に出た関係のない車屋さんに質問したら、「1年点検でも外見部分で修理するような所はお伝えしますよ。」と言われた。これで涙がこみ上げてきた。この人災難だったなスマヌ。

 そして、車を買って自分の保険の代理店でもある人に電話した。
 「100/0で向こうが悪いのだから、修理代は全部向こう持ちで大丈夫です。もっと強気で行った方がいいですよ。僕なら強く言ってあげられるんですが。もしも最悪の場合は僕のお店で見積もりし直しましすよ。でも今はその人が担当者だからそこでやって貰ってた方がいいですね。」

 大いに泣いた。保険屋はこの連休休みだし、車は預けたままだし、どんどん遅くなる。悔しくて、怒りが頂点に上り詰めて、加害者本人に電話するのは絶対嫌なので、査定人にもう一度電話した。怒りと共に声が震えてる。ガラの悪い大阪弁で。取り乱した。見ず知らずの他人相手に「なめとったらあかんぞ!」と。査定人に言っても仕方が無い事だとは解っていても、自分を支えるのはこの方法しか無い。相手は「そうですか~申し訳ございませんでした」と相槌を打ちながらも冷静だった。

 同じ保険会社で、加害者には守ってくれる担当者がいる。でも私は、直接やりとりをしている。私が被害者なのに、何故こんな扱いなのだろう?だまされてる?加害者を守るとは良く聞くが、まさにこのことかと思った。
 このまま泣き寝入りだったら、事故したおじいさんの一人勝ちだ。わっはっはだ。ちょっと保険の等級が下がるだけ。

 外回りから帰ってきた、車屋さんの営業マンが電話してきてくれた。1年点検の事を聞いた。保険査定人と同じ事を言われた。今の自分には、氷のように冷たく感じた。こっちは忙しいねん。といわれてるように感じた。

 見方に突き放された気分になり、谷底に居るようだった。
 何故、警察に届けなかったのか?自分を責める。その罪悪感から、屈辱感が罪悪感に溶け込んでいく。

 やっぱり私が悪かったの?

 車は絶対、あんな風になってなかった。でもその証拠は無い。 

 サミーが、「加害者が修理代を全額払うと言ったんだから、残りのお金は加害者に出して貰ったらいい」と言って、芝居の稽古に出かけて居なくなった。

 でも、人の言葉を思い出す度、査定人の呪いの呪文にかかったかのように、もしかしたらそうなん?そうなん?って揺らぎはじめた。
 不安で不安で仕方なくなり、話だけでも聞いてくれる第三者をネットで探した。

 警視庁の交通事故相談センターに電話した。「被害者の人、ひとりで悩まないで」とあった。
 全部話したあと、番号間違ってる事を指摘された。「同じ警察だからいいですよ。」と凄く優しかった。そこがどこだかは教えてくれなかったが、後で番号見たら、かけたかった所の上に書いてあった、銃器情報センターに電話していたらしい。そのポリスマンは、「今からでもいいから武蔵野警察に電話しなさい」と。

 で、もう一度、交通事故センターに電話した。そしたら、「あなたは全然悪くないから、納得いかない内は、修理はしなくていいからね。最終的には訴訟という形になるけれども、交通事故の無料弁護相談があるから、そこに行ってごらん」とこのポリスマンも優しかった。

 少し落ち着いた。

 友達にも電話が通じて、明後日相談に乗って貰える事になったので、なんとか気持ちが治まった。

 でも涙が出て出てしょうがない。

 サミーが帰宅した。

 加害者に電話したか?と聞かれた。会話を録音できるようにセットし、そしてサミーが電話してくれる事になった。
 相手はそんな事あったの?的に開き直ってて現場に電話が無かったとか(実際はBOXが2個もある)保険屋に任せてあるからとまるで加害者という意識が無い。詫びる言葉も一切無し。申し訳無いという気持ちさえ感じ取れない。それどころか迷惑だよって態度。
 「トイレ」と言われ、電話が切れて、何度もかけ直したが、繋がらない。繋がらない。繋がらない。一瞬話し中になった。てことは、電話の近くに居ると思ったが甘かった。留守電になった。
「警察にいきますから」と残した。

 間髪入れず、知らないおばさんから電話があった。加害者の保険の代理店だった。さっき話中の時って、この人に電話してたそうだ。温厚なサミーが「悪質だ」と怒りを露にしていた。電話を替わって貰って、また悪態ついてしまった。「なめとったらあかんぞ」と伝えてくれと真剣にいうと笑われた。何でや?何でこんな事いわなアカンねん。人に対して汚い言葉を罵ること自体が悲しい。1日で2人も。
 
 頭は朦朧としている。この地点で22時半。

 それからやっと晩飯。とんだ結婚記念日になった。

 こうなってくると、迷惑料とか精神的苦痛料とか貰いたくなる。
 初めは大したことじゃないと思ってたのにね。





2003年3月18日(火) 晴れ
サミー40th!

 父ちゃんおめでとう。
 いよいよ大台。

 サミーの好物は肉!。
 ネットで頼んだ旨いモーリヤの神戸牛が届き、苺のケーキを作って、サミーの帰りを待った。

 朝、地の塩社のアルカリウォッシュのサンプルも届いた。これは奥様おすすめの優れもの。食後、にハンパじゃなく恐ろしい汚れのガスグリルを説明書通りに洗ったら、見事にキレイになりました。手にもやさしいし、掃除好きになりそうです。ワオ!





2003年3月17日(月)

 サミーが起きてくるのを待ちながら、午前中に連絡があるという保険屋の電話も待った。
 待てど暮らせど電話は無し。よく電話の子機の調子が悪くなるので、又かな?と思って調べていたら、発信音すらしない事に気がついた。サミーを叩き起こしてかかるようにしてもらった。保険屋には、こちらから連絡した。担当者不在。

 そして二人でくまざさ号に乗って、確定申告を提出しに行く途中、携帯に電話があった。

 「今回の事故は100%加害者が悪いので、修理代はこちらで全額お持ちいたします。」と言われた。

 そして、ライトの件もきっちり説明した。

 事故状況の加害者の報告が微妙にずれていた。

 当の本人よりも保険屋が平謝りだった。仕事だからという嘘っぽいせいか正直あんまり響かなかった。それだけに、加害者への苛立ちも増してきた。 

 そして、また車屋さんに車を持って行った。

 加害者の対応に不満はあるが、車さえちゃんと元通り直して貰えればそれでいいと思ってた。





2003年3月16日(日) 晴れ

 朝、起きると左眼から大量のメヤニが出ていた。そのせいで目がひっついて開かない。なんだろう?これ。真っ赤だけど、痛くない。バイキンでも入ったかな?と放っておいた。

 確定申告の作業。

 深夜やっと終了。
 サミーが新しいサウンドボードを入れてくれた。






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